[ブログvol.3] 赤外スペクトルの構造、読み方(解析)、代表的なピークやスペクトル — 応用編
応用編の概要: 基礎編で説明した赤外スペクトルの読み方を踏まえ、応用編では少し高度な解析や特殊なスペクトルの事例を紹介します。実際の試料では複数の成分が混在した混合物スペクトルや、熱や光で変化した劣化スペクトル、さらには結晶構造や配向の影響を受けた固体特有のスペクトルなど、解釈が難しい場合も多々あります。ここでは代表的な応用例として、(1) スペクトルから材料の違いを見分ける方法、(2) 劣化や変性の指標を読み取る方法、(3) 混合物スペクトルの解析についてまとめます。
(1) 材料の違いを赤外スペクトルで見分ける:
赤外スペクトルは高分子材料の種類を識別するのにも用いられます。例えばポリエチレン(PE)とポリプロピレン(PP)はいずれも炭化水素ポリマーですが、スペクトルには明確な差があります。PPにはメチル基が含まれるため、2,950–2,850 cm⁻¹領域に4本のC–H伸縮ピーク(CH₃とCH₂の対称・不対称振動)が立ちます。一方、ポリエチレン(PE)にはメチル基が無いため、この領域のピークはCH₂由来の2本のみです。また芳香族を含むポリスチレン(PS)では、3,000 cm⁻¹以上に芳香環C–Hのピーク(3本程度)と、1,600 cm⁻¹付近に芳香環C=C振動のピークが現れます。さらに698 cm⁻¹付近に大きなピーク(ベンゼン環の変形振動)があるのもPSの特徴です。このように、材料ごとにスペクトルの指紋が異なるため、スペクトルデータベースと照合することで未知試料が何の樹脂かを推定できます。FTIRではこのようなスペクトル形状の違いを検出し、プラスチックを自動判別する技術が使われています。

(2) 劣化や化学変化をスペクトルから読む:
材料が酸化や熱分解などで劣化した場合、赤外スペクトルには新たなピークが現れることがあります。代表的なのがカルボニル基(C=O)の増加です。ポリマーが酸素と反応して劣化すると、エステルやケトン、過酸化物などのカルボニル化合物が生成し、1,700~1600 cm⁻¹付近の吸収が強まります。また紫外線劣化したポリエチレンでは、波数1780 cm⁻¹近辺に過酸化物由来のピーク、1740 cm⁻¹付近にエステル由来のピーク、1710 cm⁻¹付近にケトン由来のピークがそれぞれ観察されたとの報告があります。さらに酸化劣化ではO-H伸縮(3,400 cm⁻¹付近)のピークも増加しやすく、これはヒドロキシ基や吸着水の増加と関連します。一方、硫黄雰囲気下で劣化した場合にはスルホキシド基(S=O)のピークが1,030 cm⁻¹付近に現れることがあります。実際、アスファルト中のポリマー劣化評価では1,700 cm⁻¹のカルボニルピークと1,030 cm⁻¹のスルホキシドピークの強度比(酸化指数)を指標にする手法が知られています。このように、特定の劣化官能基のピーク強度をモニターすることで劣化の程度を定量評価することも可能です。またスペクトル全体の形状変化から、例えばプラスチック表面の酸化は深さ方向に徐々に減少する(表面でカルボニルが最大)といった情報も得られます。赤外顕微鏡を用いれば試料断面の深さごとにスペクトルを測定でき、劣化の深さ方向プロファイルを可視化することもできます。劣化解析ではこのようにカルボニル指数や特定ピークの深さ分布を読むことがポイントです。

引用:サーモフィッシャーサイエンティフィック「FT-IRおよびラマンを用いた身近な材料の劣化評価」
(3) 混合物スペクトルの解析:
実際の試料は複数成分からなることが多く、赤外スペクトルもそれらの重ね合わせになります。混合物の赤外スペクトルを解析するには、既知成分のスペクトルとの差分をとる方法が有効です。例えば高分子中の微量添加剤を検出したい場合、まず材料全体のATRスペクトルを測定し、その後試料をATRクリスタルから取り外してATR転写法で残留物だけのスペクトルを測定します。これにより樹脂本体のピークを差し引いた、添加剤成分のスペクトルが得られます。例えば、ポリエチレン袋の表面に潤滑剤(ステアリン酸アミド)が付着している場合、通常のATRスペクトルではPE由来のCH吸収が確認され、潤滑剤のピークは微弱ですが、ATR転写法では潤滑剤の情報のみが鮮明に検出されます。また混合物ではスペクトル帰属が難しい時には、成分ごとの既知スペクトルを線形合成してみて、実測との一致を見るという手もあります。現代のソフトでは、複数の基底スペクトルから測定スペクトルを再構成し、各成分の寄与割合を算出するスペクトル分解機能が搭載されています。たとえば樹脂中の添加剤分析では、ライブラリから母材樹脂のスペクトルを引き算することで微量成分のピークを浮き立たせることができます。さらに二次微分スペクトルやデコンボリューションなどの手法を使って、ピークが重畳した領域を分離する高度な解析も行われます。混合物の解析ではこのように「既知スペクトルとの比較・差分」が鍵になります。基礎編で述べたように、まずは目立つピークで主要成分を割り出し、その後残差スペクトルから副成分を読み取るというステップで進めると良いと思います。FTIR 赤外分光光度計 解析
